すれ違った子どもが言った
「わ!よかった!携帯壊れてねえ!」
今は子どもでも携帯電話を所有している。
私が小学生のころは親が持っているのみで防犯ブザーすら持っていなかった。
友達と遊ぶ約束をしていて1人待ち合わせ場所で現れない友達をいつまでも待っていたことを思い出す。携帯があれば現れない理由も分かったのにね、と1人で待っている小学生の自分を励ましたい。
時代だなあ、と思うと同時に、携帯って略し方って謎だよねと思った。
携帯していれば電話以外も携帯じゃんと思いつつ「携帯」と言われたらすぐに「携帯電話だ」と思えるほどに当たり前にそこにある。
辞書で引けば「携帯電話の略称」とでる。
便利になっている世の中だが、私はセンター問い合わせする時間が好きだった。
次、どんな返信がくるのだろうと想像を膨らませるのが好きだった。
今ではスンッと流れるようにやってくる吹き出しに少々疲れを感じてしまっている。
全てが速すぎる。年齢を重ねればどんどん時間が早くなると言うが、それにしても全てが速すぎてついていけなくなっている。パソコンが起動するのも、プレステの読み込みも、立ち上がるまでの期待膨らむあの時間がなくなってしまって寂しく感じる。
全ての速さに疲れてしまい、お休みは一日中寝て脳を休ませる。しかし常に私を監視する社用携帯、常に新しい情報を送り込んでくるプライベート携帯。
全てがこの中に詰まっている。全ての答えがすぐに手に入ってしまう。ネットショッピングをすればなんでも買えてしまう。本屋に行かなくても本棚を圧迫せずに新しい本を読めてしまう。
待ち合わせ場所に来ない友達の体調を心配したり、嫌われてしまったのか、事故にあってしまってないだろうか、家族と何かあったのだろうか、
そうやって心を養えた時代があってよかったのかもしれない。